全ての始まりは、些細な、しかし、今思えば明確な予兆でした。私が、一日中パソコンに向かう、デスクワーク中心の部署に異動してから、数ヶ月が経った頃のことです。最初は、右手の、小指と薬指の半分に、微かな、しかし、常に付きまとうような「しびれ」を感じるようになりました。その感覚は、まるで、薄い手袋を一枚、はめているかのようでした。私は、「パソコンの使いすぎで、血行が悪くなっているだけだろう」と、軽く考え、手を振ったり、肩を回したりして、その不快な感覚を、だましだまし、やり過ごしていました。しかし、そのしびれは、数週間かけて、徐々に、その勢力を拡大していきました。やがて、しびれは、前腕の内側にまで広がり、時には、肘の内側を、電気が走るような、鋭い痛みが襲うようになったのです。そして、決定的な異変が起きたのは、ある朝、コーヒーカップを持とうとした時でした。指に、うまく力が入らず、カップを、床に落としてしまったのです。この、「握力の低下」という、明らかな身体機能の異常に、私は、ようやく、事態の深刻さを認識しました。インターネットで、「小指 しびれ 握力低下」と検索すると、出てきたのは「肘部管症候群(ちゅうぶかんしょうこうぐん)」という、聞き慣れない病名でした。肘の内側で、神経が圧迫される病気だ、と。私は、いてもたってもいられず、その日の午後に、近所の整形外科クリニックの予約を取りました。診察室で、私の症状と、デスクワークの状況を話すと、医師は、肘の内側を、指で軽くトントンと叩きました。その瞬間、私の小指と薬指に、ビーン!と、強烈な電気が走りました。ティネル徴候陽性。まさに、肘部管症候群の典型的な所見でした。その後、神経伝導速度検査という、微弱な電気を流して、神経の伝わる速さを測る検査を行い、診断は確定しました。原因は、やはり、長時間のデスクワークで、肘をつく姿勢が、神経を慢性的に圧迫していたことでした。その日から、処方されたビタミン剤の服用と、作業姿勢の改善、そして、就寝時に肘を保護するための装具の装着、といった治療が始まりました。そして、数ヶ月後、あれほど私を悩ませた、しびれと痛みは、嘘のように、消えていったのです。あの時、小さな異変を放置せず、専門医の診断を仰いだ、自分の判断は、決して間違いではなかった。そう、心から思っています。